宮城県の概要
宮城県は東北地方の中心に位置します。東は太平洋に面し、豊かな漁場と日本三景の一つ松島をはじめとする観光地に恵まれています。西には蔵王・船形・栗駒などの山々が連なり、中央部には全国有数の穀倉地、仙台平野が広がっています。農産物は、ササニシキ、ひとめぼれを初めとした米が有名です。現在、仙台市を中心として仙台都市圏が形成されています。また、仙台市都心部の物販・サービスの商圏として、隣接県に及ぶ仙台経済圏が形成されています。
宮城県のあゆみ
現在の宮城県の地には、古墳時代からヤマト王権の影響力が及んでおり、東北地方最大の雷神山古墳などの前方後円墳が造られました。古墳時代後期には、厚葬禁止の令に従い、横穴式古墳も多く建造されました。
鎌倉時代には、奥州藤原氏征伐の恩賞により、葛西氏などの関東地方の有力氏族や武士たちが守護・地頭として現在の宮城県域に多く入植しました。室町時代に入ると、南北朝の争いが起こりましたが、足利一族の斯波氏(しばし)が奥州探題を称して多賀城に入ると、争いは次第に沈静化していきました。斯波氏の傍流である大崎氏が奥州管領職に着くと、大崎氏が東北地方(奥羽両国)の盟主となりました。
戦国時代になると、南東北の奥羽山脈西側に連なる盆地群に拠点を置く武将たちの勢力が強くなり、大崎氏の権勢は衰退し、最終的に伊達氏の軍門に下りました。伊達氏は慶応4年(1868)の戊辰戦争の際に奥羽越列藩同盟の盟主となりましたが、薩長軍に敗れて石高を28万石にまで減らされ、秩禄が減って困窮した家臣団は蝦夷地(北海道)に大量に移住しました。
明治政府が誕生すると日本は中央集権体制の下に組み込まれましたが、東北地方支配の政治的拠点とされた仙台市を中心に発展が始まりました。仙台には富国強兵政策によって陸軍が置かれ、また東北帝国大学を初めとした高等教育機関が設立されました。
高度経済成長期頃から第二次産業から第三次産業への転換が進むと、東北自動車道や仙台バイパスの建設、および広大な流通団地の建設によって、仙台は東北地方の卸売り商業の中心地となりました。そして支店経済都市として人口が激増し、その他の県内拠点都市も発展していきました。
宮城県の名前の由来
朝廷の出先機関である多賀城が置かれていたことから、「宮宅(みやけ)」と呼ばれるようになり、後になまって「みやぎ」になったという説が有力です。
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東北歴史博物館 |
| 住所: |
〒985-0862
宮城県多賀城市高崎1-22-1 [地図を見る] |
| 電話番号: |
022-368-0101 |
| 開館時間: |
9:30〜17:00(入館は16:30まで) |
| 休館日: |
毎週月曜日
年末年始(12月29日〜1月4日) |
| 入館料: |
一般(個人) 400円
一般(団体) 320円
小・中・高校生 無料 |
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